2012/05/10
夏のにおいがしていた
何年か前原付を盗まれて交番に行った。
交番には警官ともう一人、制服を着ていないおじさんがいた。
警官と一緒に現場検証をして交番に帰ってくると、
制服を着ていないおじさんが盗難届けの書類を書いてくれるという。
しばらくすると警官は事件があったらしくいそいそと出かけて行った。
交番には僕と、制服を着ていないおじさんの2人になった。
おじさんはとても丁寧な調子で僕に質問をして書類を作っていった。
僕と警察との書類のやり取りは、スピード違反で捕まって白バイ
シットとする、いやーなやりとりしか無かったので、
逐一丁寧に対応してくれるおじさんに好感を持った。
いくつかの質問が終わって、書類の作成がほぼ完了した。
ただ、最後のハンコかサインかが警官のものがいるらしく、警官が帰るまでしばらく交番で待たされることになった。
交番の中で待たされるなんていい気分はしないんだけど、仕方が無いので待つことにした。
おじさんは元警官で、今は交番の駐在員をしているということだった。
おじさんは、待たせちゃって悪いねぇ。なんて言いながら昔の話をしてくれた。
おじさんが刑事時代に総理大臣の護衛車に乗っていたという話だった。総理の車のすぐ後ろの車に乗って、前の車の様子を無線で報告する仕事を何年もやっていたという。
そんな緊張感ある仕事をしてたのに今じゃ交番でパートタイム。
今でも身体が動けばなぁ。とおじさんは淋しそうに言った。
でも立派に勤め上げたんだから、よかったじゃないですか。
いろいろ話を聞いて僕はもう近所のおじさんと話すノリになっていた。
定年されてまでまだお仕事されてるのは立派ですよ。
なんて調子のいいことを言った。
いや違うんだ。定年じゃないんだ。ガンなんだ。
言葉が出てこなくなった。いやたぶん正確には、ああそうなんですか、とか言ったと思う。
少しの沈黙の後、さっきの警官が帰ってきた。
警官は書類にサインして、僕はそそくさと交番を後にした。
外は今と同じように温かくて、夏のにおいがしていた。
その後も何度かその交番の前を通る度に中を見るけれど、そのおじさんがいるかはわからない。
おじさんの顔がわからない。
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